巡礼行列

セマナ・サンタ(聖週間)中の金曜日の今日、巡礼行列(Procesion・プロセシオン)が行われました。
この金曜は、イエス・キリストが十字架に架せられたとされている日で、捕らえられてから処刑されるまでの様子が再現されます。
大勢の人が見守る中、若者たち中心に演じられる、『劇』のような雰囲気で始まりました。
教会でまず、捕らえられたイエス・キリストの罪を、民衆に問う場面があります。
民衆は口々に、「キリストを処刑しろ!」と叫びます。
そして、イエス・キリスト役の人は十字架を担ぎ、道路に出て、町内を巡ります。
大通りを通るので、そのつど道路を一時的に通行止めにしていきます。
f0023941_17182365.jpg

イエス・キリストが歩いている間も、絶えず、
「うそつきめ!」
「偽りの王め!」
「はりつけにしろ!」
といったヤジが飛び、ムチが打たれ、石を模したものが投げられます。
↓当時の衣装を着た、役割を演じる人々
f0023941_1719629.jpg

大勢の人が、この巡礼行列の後をついていきます。
ところどころで主要な場面を演じながら、1時間ほど町内を練り歩いた後、再び教会に戻ってきます。
そこで、ついにイエス・キリストが十字架にはりつけにされる場面が再現されます。
f0023941_17192937.jpg

十字架の上のイエス・キリストは、何か言葉を叫んでいます。
今日は(今日も)とても日差しが強くて、暑かったです。
本物のキリストじゃなくても、十字架を担いで1時間も歩き回った彼はかなり疲労しているでしょう。
暑さ、のどの渇き、疲労、人々からのヤジ、はりつけの刑、そんな状況の中で、彼はどんなことを考えているんだろう。
私は、この大変な『役柄』を演じるのは、とても名誉なことなんだろうなあと考えていました。
ギラギラと照りつける太陽を受けて、ぼんやりとした頭で、彼は何を思っているんだろう。

ついにイエス・キリストは息絶えます。
私たちは地面にひざまづいて、お祈りの言葉を聞き、それを復唱します。
すぐ横で、涙を流している女性がいました。
私はキリスト教をよく知らないので、一緒に十字を切ったり、お祈りをしたりできません。
心から信じていない私がこの場にいることが申し訳なく感じて、まだまだ続きそうな現場を、そっと後にしました。

このような巡礼行列は、メキシコ各地で行われます。
中でもメキシコシティのIztapalapa(イスタパラパ)というところが大規模で有名です。
この日人々が集まるイスタパラパの丘ではつい最近、テオティワカンの月のピラミッド級の神殿があることが確認されました。
メキシコで1500年前の巨大ピラミッド発掘される
しかし、毎年大勢の人がつめかけるため、地上に出ていた部分はもう崩れてしまっているそうです。
また、現在も重要な宗教施設として使われており、教会や家も建っているので、それを壊して発掘するようなことはできないそうです。
残念に思いますが、過去と現在のどこで折り合いをつけるかというのは、難しい問題ですね。
スペイン人たちがメキシコを征服した際、メキシコ人たちが当時信仰していたものをすべて消し去ろうとしました。
宗教施設を破壊して、その上に教会を建てています。
だからメキシコシティには、まだまだ知られていない遺跡がたくさん眠っているのです。
長い長い月日を経て、キリスト教はメキシコの国教であるかのように浸透してきました。(国民の95%がカトリック)
しかし、スペイン人が持ち込んだままのキリスト教ではなく、古くからの信仰と融合したような形で残っているのです。
修道士たちは徹底的に『異教』を排除しようとしましたが、それは不可能でした。
今でも、キリスト教のお祭りの日に、古くから残る踊りを奉納したりするそうです。
実際に、タクイチャモナという村に行ったエドが、『仮面をつけてムチで打ち合う踊り』を見たそうです。
当時の布教者たちには不満の残る結果かもしれませんが、そうして融合してきたからこそ、今でも厚く信仰されているように思います。
[PR]
by mangorico2 | 2006-04-14 17:17
<< ラバデラとラバドラ ノー・肉・デー >>